二つの太陽が沈みかけ、惑星ソラリスの空が紫と茜色に染まる頃、水晶の森は歌い始める。

風が吹き抜けるたび、巨大な結晶質の樹木たちが微細に振動し、澄んだ鐘の音のような響きを奏でるのだ。それは「星の呼吸」とも呼ばれ、この星に住む人々にとっては安らぎの旋律子守唄だった。

だが、その日の「音」は、どこか違っていた。

「……ピコ、聞こえるか?」

リオンは足を止め、銀色のブーツで苔むした地面を踏みしめた。腰に下げた革のベルトには、大小様々な音叉が吊るされている。彼は耳をそばだて、風の音に混じる違和感を探った。

彼の肩のあたりで、ソフトボールほどの大きさの球体がふわりと浮遊した。相棒のピコだ。古代遺跡から発掘されたこの自律型メカは、リオンの問いかけに応えるように、その一つ目を青く明滅させた。

『ピ、ピ……解析中。方位、北北東。距離、三百ルージュ。微弱な不協和音(ディソナンス)を検知』

ピコの電子音声は、いつものように無機質だが、リオンにはその奥に潜む緊張が感じ取れた。

「やっぱりな。昨日から森の調子がおかしいと思ってたんだ」

リオンはゴーグルを額に上げ、乱れた白銀の髪をかき上げた。「行こう。完全に和音が崩れる前に、調律しなきゃな」

二人は水晶の森を抜け、北北東へと進路を取った。地面から突き出した水晶の根が複雑に絡み合い、行く手を阻む。リオンは慣れた身のこなしでそれを飛び越え、時折、手袋をした手で水晶の幹に触れ、その振動を確かめた。

やがて、木々の隙間から開けた場所に出た。そこは古い広場で、中央には半分ほど土に埋もれた古代のオベリスクが立っていた。

かつての「音響文明」の遺跡だ。

オベリスクの表面には複雑な幾何学模様が刻まれており、本来ならばそこから美しい和音が周囲に放射され、森の生態系を維持しているはずだった。しかし今は、耳障りな低い唸り声を上げている。

「ひどいな……。回路がショートしかけてる」

リオンはオベリスクの前にしゃがみ込み、道具袋から一本の音叉を取り出した。柄には「440Hz」と刻まれている。

「ピコ、同調モード。ベース音をスキャンしてくれ」

『了解。スキャン開始……』

ピコがオベリスクの周りを旋回し、赤い光線を走らせる。

『基本周波数、変動あり。ノイズ率、四〇パーセント上昇』

「よし。僕が基準音を入れる。ピコは増幅(アンプ)係数を頼む」

リオンは音叉を膝で軽く叩き、オベリスクの共鳴孔へと近づけた。「キィーン」という清冽な音が響き渡る。

その瞬間、オベリスクの唸り声が強まった。まるで治療を拒む獣のようだ。黒いノイズが火花のように散る。

「暴れるなよ……すぐ楽にしてやるから」

リオンは目を閉じ、意識を集中させた。音叉の振動を指先で感じ、それを自分の体内の魔力(マナ)と共鳴させる。
彼は「調律師」。音を操り、世界をあるべき姿に戻す技術者だ。

「……響け、還れ。本来の旋律へ」

音叉の音が、リオンの意思を乗せて強くなる。ピコがそれに合わせて光を放ち、音の波を可視化させる。黄金色の波紋がオベリスクを包み込み、黒いノイズを中和していく。

数瞬の拮抗の後。

不協和音は唐突に消え失せた。代わりに、透き通るような長調の和音が、オベリスクから溢れ出した。表面の幾何学模様が淡い青色に発光し始める。

「ふぅ……。なんとかなったか」

リオンは息を吐き、額の汗をぬぐった。
水晶の森のざわめきが、再び穏やかなものに戻っていく。

『修正完了。システム、安定。……ナイスワーク、相棒』

ピコがくるりと宙返りをして、リオンの肩に着地した。

「ああ。でも、これで終わりじゃない気がする」

リオンはオベリスクを見上げた。古代の遺跡がこれほど不安定になることは珍しい。何かが、この星の「音」を狂わせようとしているのかもしれない。

「帰ろう、ピコ。今日はシチューを作り置きしてあるんだ」

『了解。腹が減っては、調律はできぬ』

「お前は食べないだろ」

リオンは苦笑しながら、再び森の中へと歩き出した。
頭上では、二つの太陽が完全に沈み、満点の星空が広がり始めていた。

彼らの旅は、まだ始まったばかりだ。